X線回折とは、X線が物質と相互作用する際に起こる回折現象を利用した実験手法です。特に、X線は物質中の電子と相互作用するため、X線回折実験から得られる結果は、その物質の電子分布(電子密度)に関する情報に起因します。したがって、X線回折実験の主な目的は、サンプルの電子密度 ρ(r) に関する情報を得ることです。
結晶のような周期的な物質における回折理論では、前述のように電子密度 ρ(r)のフーリエ変換として構造因子 F(b) が定義されます。構造因子 F(b)は逆格子空間(フーリエ空間)のベクトル b の関数であり、一般的には複素関数です。つまり、F(b)は大きさ(振幅)|F(b)| と位相 φ(b) の両方を持っています。
X線回折実験において測定されるのは、回折されたX線の強度 I(b) です。回折理論の重要な結果として、この測定される回折強度 I(b)は、構造因子 F(b)の大きさの二乗に比例します。I(b) ≈ |F(b)|²。
繰り返しになりますが、これがX線回折における位相問題 (Phase problem) の根源です。実験によって測定されるのは強度 I(b)のみであるため、これから直接得られるのは構造因子の大きさ |F(b)| だけです。しかし、目的とする物質の電子密度 ρ(r)を計算するには、構造因子 F(b)を逆フーリエ変換する必要がありますが、そのためには大きさ |F(b)|だけでなく、位相 φ(b)の情報も不可欠です。実験では位相φ(b)を直接得ることができないため、回折強度 I(b)から電子密度 ρ(r)への直接的な道筋が存在しないのです。この位相問題は、何十年もの間、X線結晶学の進歩を妨げてきた中心的な課題です。
X線回折実験と構造解析のプロセスは多岐にわたります。
- サンプル: 主に単結晶が用いられます。
- X線源: 従来のX線管(封入管、回転対陰極、マイクロフォーカス) や、より強力で波長選択が可能なシンクロトロン放射光 が使用されます。実験目的やサンプルに応じて、CuKα線(比較的長波長)やMoKα線(短波長)が一般的です。吸収が大きいサンプルや高分解能データ取得には、MoKα線やシンクロトロン放射光が有利です。単色X線が必要な場合は、フィルターやモノクロメーターが使用されます。
- 検出器: 歴史的にはX線フィルム(回転法、ワイスナーグ法、プリセッション法など)が使われましたが、近現代では回折計を用いた自動測定が主流であり、特に面積検出器(イメージングプレート、CCD)が広く使われています。現在の最先端は ハイブリッドピクセル検出器(CPAD/HPC) です。CCDに比べてノイズが極めて少なく、読み出し速度が圧倒的に速いため、現代のシンクロトロン施設や最新の回折計の主流となっています。
- データ収集: 結晶を回折計にマウントし、格子定数や方位行列を決定した後、回折強度が測定されます。測定は自動化されており、スキャン方法や2θ範囲などが設定されます。データセットの質は、「分解能(d値)」 や「測定された反射の数」、「観測されない反射」の割合によって評価されます。データの質を高めるため、低温測定が行われることもあります。
- 構造解析: 測定された回折強度データから構造を決定・精密化します。
- 空間群決定: 測定された強度の対称性(強度対称性)と、特定の反射が観測されない系統的消滅のパターンから、結晶の空間群を推定します。強度対称性はラウエ群に対応し、通常はフリーデルの法則 I(h) = I(-h) により中心対称的な情報が得られますが、特定の波長で異常分散が存在する場合、フリーデルの法則が破れることを利用して絶対配置を決定できます。系統的消滅は空間群の並進対称要素(らせん軸や映進面)を示します。
- 構造決定(位相決定): 位相問題を解決するための最も重要なステップです。初期構造モデルを得るために、パターソン法(回折強度のフーリエ変換であるパターソン関数 P(u)を利用。これは電子密度の畳み込み二乗に等しく、位相問題への最初のアプローチでした。重原子法などの基盤となります)や直接法 といった手法が用いられます。異常分散を利用した多波長回折実験は、マクロ分子などの位相決定に特に有効です。SHELXS, SIR, SHELXD, DIRDIF, PATSEEなどのソフトウェアが構造決定に用いられます。
- 構造精密化: 初期モデルを改善し、測定強度に最もよく合うように調整します。一般的に最小二乗法が用いられ、原子位置、変位パラメータ(かつて温度因子と呼ばれていました)などが最適化されます。変位パラメータは原子の熱運動や位置の乱れを反映し、ORTEPなどの図で楕円体として表現されます。SHELXL, OLEX2, CRYSTALS/CAMERONといったプログラムが使用されます。
- 結果の解析と表示: 得られた構造の幾何学的情報(距離や角度)の計算、ORTEPなどを用いた分子構造のグラフィカルな表示、そして結果を国際的な標準形式であるCIF (Crystallographic Information File) として出力し検証する作業が行われます。
X線回折実験は、逆格子空間の概念を用いて記述されることが多く、ラウエ条件やブラッグの法則、エワルド球 といった幾何学的な条件が回折現象を理解する上で重要です。観測可能な反射の範囲は、入射X線の波長によって決まる制限球 (limiting sphere) 内に限定されます。波長 \( \lambda \) が短くなるほどエワルド球の半径 ( \( 1/\lambda \) ) が大きくなり、より高分解能(逆格子の遠くまで)のデータが収集できるという点も、「MoKα線が有利」という理由を裏付けます。また、結晶の格子体積 V、化学式量 Mr、単位格子あたりの分子数 Z、X線密度 ρx の間には関係があり、空間群決定や組成の検証に利用されます。
初期のXRAYシステム から、現代のSHELX suite やWINGX といったソフトウェアシステムに至るまで、多くの計算機プログラムがX線回折データの処理と構造解析に不可欠な役割を果たしています。