背景
1: 研究の背景
- オキソボランは、ホウ素と酸素を含む低配位で非常に反応性の高い中間体です。
- そのユニークな分子構造と電子特性、反応性から、数十年にわたり大きな関心を集めています。
- これまでは、600℃以上の高温熱分解や光分解マトリックス条件など、合成的に非実用的な条件下でしか生成できませんでした。
- 初めて溶液中で遊離オキソボランを生成する方法が1985年に報告されました(前駆体:ジオキサジボレタン Aの光分解)。
- 1997年には別の熱的方法が開発されました(前駆体:ジチアスタンナボレタン BとDMSOの熱分解)。
2: 研究の背景にある課題
- 従来の常温での生成法は、特殊な立体障害を持つアリール基を持つ前駆体に依存しています。
- これらの前駆体や生成したオキソボラン種は、加水分解安定性が低いという制限がありました。
- そのため、研究の焦点は、ルイス酸やルイス塩基によって安定化された、単離可能なオキソボラン種の研究へとシフトしました。
- 最初の例は2005年に報告された、β-ジケチミナートとAlCl3で安定化された3配位オキソボランです。
- その後、様々な配位子やルイス酸で安定化された多くのオキソボランが合成されました。
- 最近では、塩基フリーの2配位オキソボランや金属オキソボラン錯体も報告されています。
3: 研究の目的
- しかし、過去30年間、遊離オキソボラン種の効率的な生成と詳細な研究は限定的でした。
- 本研究では、新しいクラスのボラノボラジエン誘導体、特に「ボラノアントラセン」を導入します。
- これらの前駆体を用いて、遊離オキソボラン種を生成するための、根本的に新しいメカニズムを提案します。
- このメカニズムは、酸化的な芳香族化(芳香族環ができることで安定化エネルギーを得るプロセス)によって推進されます。
- これにより、これまで報告例が少ない「アミノオキソボラン」種の生成が可能になります。
- 目的は、この新規生成経路、アミノオキソボランの構造、および多様な反応性を詳細に研究することです。
方法
1: 合成方法
- 新しいブリッジ化ボラノアントラセン (1a-d) を開発しました。
- これらの化合物は、マグネシウム-アントラセンと様々なアミノボランジハライドを出発物質として合成されます。 (図2A参照)
- 合成は、エーテル系または芳香族溶媒中、室温で行われます。
- 目的生成物 (1a-d) は、50〜75%の収率で得られ、グラムスケールでの合成も可能です.
2: オキソボラン生成方法
- 提案した化学経路(図1C参照)に従い、ボラノアントラセン (1a-d) と様々な酸素系ルイス塩基(酸素原子を介してホウ素に配位する塩基)の反応性を評価しました。
- 反応はベンゼンを溶媒とし、70℃で行いました。
- 他の酸素系ルイス塩基ではわずかな反応しか見られませんでしたが、DMSO(ジメチルスルホキシド)を用いた場合、完全な変換が達成されました。
- DMSO非存在下では、原料はほとんど変化しませんでした。
- DMSO存在下、ボラノアントラセンは酸化的な熱押し出し反応を起こし、アントラセンと反応性の高いアミノオキソボラン種を生成しました。
3: 研究手法
- 生成したアミノオキソボラン中間体の反応性を探索しました。
- 具体的には、B-C結合への挿入反応や、ニトロンおよびアゾメチンイミンとのシクロ付加反応を試みました。 (図3, 4参照)
- 反応の進行と生成物の構造決定は、主にNMR解析 (1H, 13C, 11B) とX線結晶構造解析によって行いました。(図2B参照)
- 反応メカニズムを理解するため、DFT(密度汎関数理論)計算を実施しました。
- また、低温NMRや拡散NMR、ラジカルトラッピング実験も行い、計算結果を裏付ける証拠を得ました。
結果
1: ボラノアントラセンの合成と構造
- 図2Aに示されているように、ブリッジ化ボラノアントラセン 1a-d の合成に成功しました。
- 1H NMRスペクトルでは、ベンジル位プロトン(アントラセン骨格と結合する炭素上のプロトン)に特徴的なシングレット信号が観測されました。
- 11B-NMRスペクトルでは、出発物質であるアミノボランジハライドと比較して、ブリッジングホウ素原子の信号が低磁場にシフトしました。
- 図2Bに示されているように、X線解析により boranoanthracenes 1a-1c および 1d のピリジン付加体の固体構造が確認されました。
- 構造解析の結果、ホウ素中心がベンゾ基の片側に傾いていることや、ホウ素と窒素の結合距離がB=N二重結合に近い値であることが分かりました。
2: アミノオキソボランの生成
- DMSOを添加し、70℃で加熱すると、ボラノアントラセン (1a-d) は酸化的なフラグメンテーション(分子が断片化すること)を起こしました。
- この反応により、アントラセンとアミノオキソボラン中間体 (1a’) が生成しました。 (図3参照)
- 1H NMRにより、アントラセンが84%の収率で生成したことが確認されました。
- 11B-NMRでは、反応性の高いアミノオキソボラン中間体が速やかに環状化し、ボロキシンと呼ばれる生成物に対応する幅広い信号が観測されました。
- また、DMSOが酸化剤として機能した証拠として、ジメチルスルフィド(DMS)が75%の収率で検出されました。 (図7B参照)
3: アミノオキソボランの反応性
- 生成したアミノオキソボランは、これまでに報告されていない多様な反応性を示しました。
- B-C結合への挿入反応: 特にTMS-BA (1c) および Ph-BA (1d) 由来のオキソボランは、分子内のB-C結合に挿入する反応を起こし、新規生成物 (3c, 3d) を与えました。 (図3参照) これは、オキソボラン種によるB-C結合挿入の最初の例です。
- [3+2]シクロ付加反応: iPr-BA (1a) および TMS-BA (1c) 由来のオキソボランは、ニトロンと反応し、新規な5員環ボラノヘテロ環(1,3,4,2-ジオキサザボロリジン)を形成しました。 (図4A参照)
- [5+2]シクロ付加反応: TMS-BA (1c) 由来のオキソボランは、アゾメチンイミンと反応し、初の7員環ボラサイクル(1,3,5,6,2-ジオキサジアザボレピノイソキノリン)を形成しました。 (図4C参照)
考察
1: 反応メカニズム(初期段階)
- 反応メカニズムを詳細に理解するため、DFT計算と実験解析を組み合わせた研究を行いました。
- 提案されたメカニズムの最初の段階は、DMSO(酸素ルイス塩基)がボラノアントラセンのホウ素中心に配位することです。
- このDMSO配位付加体の形成は、低温11B-NMR解析によって支持されています。 (図6A参照) 温度を下げることで、配位した種と非配位の種の信号が分離して観測されました.
- また、 1H NMRおよび拡散NMR(分子の動きを測定する方法)によっても、DMSOがボラノアントラセンに結合し、分子量の大きい新しい種を形成したことが示されました。 (図6B参照)
- その後のフラグメンテーションは、酸化的な芳香族化によって駆動されると考えられます。
2: 反応メカニズム(フラグメンテーション)
- メカニズム研究の結果、このフラグメンテーションは段階的なラジカル経路(不対電子を持つ中間体を経る経路)で進行すると提案されています。
- DFT計算は、一つのB-C結合が切れてラジカル中間体 (II) が形成される可能性を示唆しています。 (図5参照)
- この段階的なラジカル経路は、分子内ラジカルトラッピング実験によってさらに支持されました。 特定のラジカル捕捉剤が存在する場合、ラジカル中間体を経由した生成物が観測されました。 (図7A参照)
- 次の段階で、中間体 (II) の硫黄-酸素結合が切断され、DMSと中間体 (III) が生成します。 DMSの生成はNMRで確認されています。 (図7B参照)
- 最終段階で、中間体 (III) が芳香族化し、アントラセンと反応性の高いアミノオキソボラン中間体 (IV) が生成します。 この段階は大きなエネルギーゲインを伴います。
3: 従来の生成法との比較
- これまでの遊離オキソボランは、高温や光分解などの苛酷な条件、あるいは特殊な前駆体と熱反応を組み合わせて生成されてきました。
- 本研究で開発した方法は、比較的に穏やかな熱条件(室温〜70℃)でアミノオキソボラン種を生成できる点で異なります。
- 従来の芳香族化駆動による反応性種の生成は、一般的にレドックス(酸化還元)中性のプロセスであり、炭化水素骨格の酸化と反応性種の還元が同時に起こります。
- しかし、本研究のオキソボラン生成メカニズムでは、DMSOという「ノンイノセント」なルイス塩基(配位するだけでなく反応にも関わる)が関与し、酸化的な芳香族化によって反応性種の生成が駆動されます。
- これは、芳香族化駆動による反応性種生成において、知られている限り初めての酸化的なプロセスを用いた例です。
4: 反応性・構造の意義
- アミノオキソボラン種によるB-C結合への分子間挿入反応は、私たちの知る限り最初の例です。 これは、オキソボランの未開拓の反応性経路を示唆しています。
- ニトロンやアゾメチンイミンとのシクロ付加反応は、アミノオキソボランの求電子的な性質やオキソフィル性(酸素への親和性)を利用したものであり、新規なホウ素を含む複素環化合物の合成法となります。
- natural resonance theory(NRT)を用いたアミノオキソボランの解析は、従来の強力なB≡O三重結合を持つオキソボランとは異なり、B-O結合とB-N結合に有意なイオン性があることを示唆しています。 (図7C参照)
- これは、アミノ置換基がオキソボランの電子構造に影響を与え、その反応性を調整する可能性を示しています。
- ボラノアントラセンの固体構造で見られたホウ素中心の傾きは、関連化合物の構造に関する先行研究の観察とも一致します。
5: 研究の限界
- 様々なボラノアントラセン前駆体 (1a-d) の反応速度には違いが見られました. 特にTMP-BA (1b) は反応完了までに10日以上を要しました。
- これらの反応速度の違いは、アミン置換基の電子的および立体的な要因に起因すると考えられます。
- 特に立体的に嵩高いTMP基は、DMSOのホウ素への配位を妨げ、反応を遅らせる可能性があります. これらの要因がDMSOの配位効率にどう影響するかは、さらなる研究が必要です。
- メカニズム研究における一部の計算(例:中間体IからIIへの遷移)では、近似的な手法を用いる必要がありました. メカニズムの全てのステップを詳細に解明するには、さらなる計算や実験的検証が有用です。
- ラジカル捕捉実験で、特定の捕捉剤を用いた際に、原料消費にもかかわらず目的のオキソボラン由来生成物が少量しか得られず、未知のホウ素種が観測されました. これは、捕捉剤の性質や反応条件により、他の複雑な副反応経路が存在する可能性を示唆します。
結論
- 本研究では、新しいクラスのボラノアントラセンを前駆体として開発しました。
- 酸素系ルイス塩基(DMSO)の配位を起点とする、酸化的な芳香族化駆動による新しいメカニズムを通じて、遊離アミノオキソボラン種を生成できることを示しました。
- これは、文献報告が少ないアミノオキソボランを生成する新しい経路を提供します。
- 生成したアミノオキソボランは、これまで知られていなかった反応性、特にB-C結合への分子間挿入反応、ニトロンとの[3+2]シクロ付加、アゾメチンイミンとの[5+2]シクロ付加反応を示しました。
- これらの多様な反応性は、有機化学および合成手法の分野において、アミノオキソボランが持つ未開拓の大きな潜在的可能性を明らかにしました。
将来の展望
- アミノオキソボランのさらなる反応性探索や、立体・電子的要因が反応に与える影響の詳細な解明が挙げられます。
TAKE HOME QUIZ
- フリーオキソボラン種を生成するために本論文で提案された新規メカニズムは、何によって駆動されると述べられていますか?
- この新規メカニズムにおいて、オキソボラン生成を達成するために使用されたマイルドな酸素ルイス塩基および酸化剤は何ですか?
- 本論文で報告されている、アミノオキソボラン種の3つの異なる反応性は何ですか?
- 提案されているオキソボラン生成メカニズムの最初の段階で起こることは何ですか?
- DMSOがボラノアントラセンに配位しているという証拠は、主にどのような分析手法によって得られましたか?
- DFT計算と実験結果(ラジカルトラップ実験など)は、提案されている反応メカニズムがコンサーテッド(協奏的)経路ではなく、どのような経路で進行することを示唆していますか?その証拠は何ですか?
- NRT分析によると、アミノオキソボランの電子構造はどのような特徴を持っていますか?遊離オキソボランの代表的なB≡O三重結合構造と比較してどう異なりますか?
- 本論文で提案されている酸化芳香族化駆動メカニズムは、これまでの芳香族化駆動プロセス(通常はレドックス中性)とどのように異なると述べられていますか?
解答
-
フリーオキソボラン種を生成するために本論文で提案された新規メカニズムは、酸化芳香族化 (oxidative aromatization) によって駆動されるフラグメンテーションカスケードです。このプロセスは、ノンイノセントなルイス塩基が関与することで、反応性種の生成を駆動する正式な酸化を引き起こしながら芳香族化が進行すると述べられています。
-
この新規メカニズムにおいて、オキソボラン生成を達成するために使用されたマイルドな酸素ルイス塩基および酸化剤は、ジメチルスルホキシド (DMSO) です。DMSOは、ボラノアントラセンへの配位によって反応を開始させ、ノンイノセントなルイス塩基および末端酸化剤として機能すると提案されています。
-
本論文で報告されている、アミノオキソボラン種の3つの異なる反応性は何ですか?
- オキソボラン種のB−C結合への挿入
- ニトロンとの[3 + 2]シクロ付加反応
- アゾメチンイミンとの[5 + 2]シクロ付加反応
-
提案されているオキソボラン生成メカニズムの最初の段階で起こることは、酸素ルイス塩基(DMSO)のホウ素中心への配位、すなわちDMSOとボラノアントラセンの複合体形成です。
-
DMSOがボラノアントラセンに配位しているという証拠は、主に以下の分析手法によって得られました:
- 低温 11B-NMR分析
- 1H NMRスペクトルにおける配位したDMSOの検出
- 拡散NMR分光法 (Diffusion NMR spectroscopy)
- 位相感応性1D-NOE実験
-
DFT計算と実験結果は、提案されている反応メカニズムがコンサーテッド(協奏的)経路ではなく、ラジカル中間体を伴う二状態段階的芳香族化メカニズム、または段階的ラジカル経路で進行することを示唆しています。 その証拠としては以下が挙げられています。
- DFT計算によって、中間体IIと呼ばれる、一つのB−C結合のみが切断された構造が示唆されたこと。これは二状態反応性と最小エネルギー交差項 (MECP) の考慮につながりました。
- 分子内ラジカルトラップ実験において、ベンジルラジカル(中間体8)が関与する可能性のある生成物 (9) が観察されたこと。
- ラジカル捕捉剤 (PhSiH3) の存在下でオキソボラン形成反応が阻害されたこと。 これらの結果は、ビリジカル中間体IIの形成を示しています。
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NRT分析によると、アミノオキソボランは、B−OおよびB−N結合においてsignificantなイオン性を持つという特徴があります。これは、主にアレン様オキソボラン構造IVa (17%寄与) と構造IVb (19%寄与) の二つの主要な共鳴構造によって説明されます。 遊離オキソボランが通常、強いB−O三重結合共鳴構造を持つとされるのに対し、アミノオキソボランでは三重結合構造の寄与は小さく(例えばMeBOではMe-B≡O構造が87%寄与するのに比べ)、よりイオン性を持つ構造が主要な寄与をしています。
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これまでの反応性典型元素種の芳香族化駆動形成は、一般的にレドックス中性のプロセスを介して進行し、フラグメンテーションによって炭化水素骨格が形式的に酸化されて芳香環を形成し、同時に還元された反応性種が生成されると述べられています。 一方、本論文で提案されているオキソボラン形成メカニズムは、ノンイノセントなルイス塩基(DMSO)の関与により、反応性種の生成を駆動する正式な酸化芳香族化を促進するという点で異なります。これは、この分野におけるこのようなプロセスの最初の例であると述べられています。
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