位相問題(Phase problem)とは、X線回折実験において、回折強度 I(b) から結晶の電子密度 ρ(r) を直接決定することができないという、回折理論の主要な問題であり、かつあらゆる回折実験における中心的な問題です。
これは、回折実験によって測定されるのは回折強度 I(b)のみであり、この強度I(b)は構造因子(Structure factor)F(b)の大きさの二乗に比例する(I(b) ~ |F(b)|²)という事実に基づいています。構造因子F(b)は結晶の電子密度ρ(r)のフーリエ変換として定義される複素関数です。複素関数である構造因子F(b)は、その大きさ |F(b)| と位相 φ(b) の両方によって完全に記述されます。しかし、実験から得られるのは強度の大きさ|F(b)|だけであり、構造因子の位相φ(b)は実験的に直接得ることができません。
電子密度ρ(r)は、構造因子F(b)を逆フーリエ変換することによって計算できます。
つまり、ρ(r)を求めるためには、構造因子F(b)の大きさだけでなく、その位相φ(b)も必要になります。位相情報が失われているため、実験結果である強度I(b)から、目的とする電子密度ρ(r)への直接的な道筋が存在しないのです。情報間の関係を図示すると、電子密度ρ(r)から構造因子F(b)への変換とその逆はフーリエ変換ですが、回折強度I(b)(≈|F(b)|²)から電子密度ρ(r)へのパスは位相問題によって阻まれています。
この位相問題は、何十年もの間、X線結晶学の進歩を妨げてきました。回折実験で得られる回折点が逆格子ベクトルhに対応することから、すべての単結晶回折実験は逆格子によって記述されます。構造因子F(h)は通常、原子位置r_jと原子散乱因子f_j(h)を用いた級数で表されます。
位相問題へのアプローチや関連する概念がソースにいくつか示されています。
- 直接法は、「電子密度は常に正である(負の領域はない)」や「原子は離散的に存在する」といった物理的制約から、位相間の確率的な関係(三位相和など)を導き出して位相を推定する手法です。H. Hauptman と J. Karle はこの業績で1985年にノーベル化学賞を受賞しました。
- パターソン関数 P(u) は、回折強度I(b)のフーリエ変換として定義され、電子密度の畳み込み二乗にあたります。パターソン関数は、この位相問題に対する最初のアプローチとしてパターソンによって導入されました。
- 対称心を持つ構造(Centrosymmetric structures)の場合、構造因子は実数となり、位相問題は構造因子の符号(sign)を決定する「符号問題」に還元されます。このような構造では、異常分散がない限りフリーデルの法則 I(h) = I(-h) が成り立ちます。
- 異常分散(Anomalous dispersion)が存在する場合、フリーデルの法則は一般的に成り立たなくなります(I(h) ≠ I(-h))。この現象を利用して、絶対配置(absolute configuration)を決定することが可能です。異常分散は、特に重い原子や特定の波長のX線で顕著になりますが、酸素のような比較的軽い原子でも正確な測定を行えば絶対配置決定に利用できる場合があります。このためには、フリーデル対応の反射(hと-h)を測定する必要があり、これは通常、半天球ではなく全天球のデータを測定することを意味し、データ量が2倍に増加します。ソースでは、異常分散を利用した多波長回折実験がマクロ分子の位相決定(phasing)に利用されることが示唆されています。
- 系統的消滅(Systematic extinctions)は、結晶の並進対称要素(すべり面やらせん軸)によって特定の逆格子ベクトルhに対する構造因子F(h)がゼロになる現象であり、強度測定において特定の反射が観測されない形で現れます。系統的消滅は、位相問題を直接解決するものではありませんが、空間群決定に不可欠な情報であり、空間群情報は構造解析(位相決定を含む)の重要な前提となります。
- 回折データセットの品質も位相問題の解決に影響します。例えば、観測されない反射("less thans")があまりに多い場合(例えば50%を超える場合)、位相問題を解決することが困難になる危険性があり、構造を解くことができない可能性があります。これは「完全性 (Completeness)」という指標に関連します。高角側のデータ(高解像度データ)が不足すると、電子密度マップの解像度が落ち、原子の「形」がぼやけてしまい、位相決定のアルゴリズム(特に直接法)が収束しにくくなります。
まとめると、位相問題は、X線回折実験で測定される強度が構造因子の大きさの二乗であるために、構造因子の位相情報が失われるという基本的な問題です。電子密度を得るには構造因子の位相が必要であり、この問題は結晶構造解析における中心的な課題となっています。パターソン関数、対称性の利用(符号問題)、そして異常分散(特にマクロ分子の位相決定や絶対配置の決定)などが、この位相問題に取り組むための手法として関連付けられています。
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