2025年11月22日土曜日

対称性と電子遷移~その3~水分子を例に「群の表現と指標表」を理解する試み

今回は水分子(H₂O)における座標軸の定義と、Cv点群の既約表現(A₁, A₂, B₁, B₂)と関数・軌道の対応関係を、群論的な視点から解説します。


1: 水分子の座標軸(x, y, z)の決め方

前回、「水分子を座標で表す」と、さも当然のように座標軸を決めましたが、群論では分子の対称性を最大限に活かすように座標軸を定義します。水分子は折れ線型(V字型)で、Cvに属します。

定義ルール(群論的標準)

定義 水分子での意味
z軸 主回転軸(C₂)に沿う 酸素原子を中心に上下方向(C₂回転軸)
x軸 分子平面内でz軸と垂直 水素原子が左右に並ぶ方向
y軸 分子平面に垂直 分子の平面から垂直に飛び出す方向(鏡映面に垂直)

このように、z軸が主軸、x軸が分子平面内、y軸が平面外という配置が、群論解析や量子化学計算に最も適していることが分かります。


2: Cv点群の4つの既約表現と関数・軌道の対応

Cv点群には以下の4つの対称操作があります:

  • E(恒等操作)
  • C₂(z軸まわりの180°回転)
  • σv(xz平面での鏡映)
  • σv'(yz平面での鏡映)

これらの操作に対して、関数や軌道がどう変化するか(変わる[–1] or 変わらない[1])によって、既約表現に分類されます。

キャラクターテーブル(Cv点群)

表現 E C σv(xz) σv'(yz) 対応する関数・軌道
A 1 1 1 1 z, z², s軌道
A 1 1 –1 –1 Rz(z軸回転)、ねじれ振動
B 1 –1 1 –1 x, px、x方向振動
B 1 –1 –1 1 y, py、y方向振動

3:  各既約表現の特徴と直感的理解

A₁(完全対称表現)

  • すべての操作で変化なし(指標列:E=1, C₂=1, σv=1, σv'=1)
  • 最も対称性が高い
  • 対応:z軸方向の関数、s軌道(球対称)、z²軌道

水分子での意味:

  • z軸方向の関数(酸素のpz軌道など)は、回転しても鏡映しても形が変わらない
  • 対称伸縮振動(両Hが同時に内向き・外向きに動く)は、分子の対称性を保つ

A₂(鏡映で符号反転)

  • 回転には強いが、鏡映には弱い(指標列:E=1, C₂=1, σv=–1, σv'=–1)
  • 対応:Rz(z軸まわりの回転)、ねじれ振動

水分子での意味:

  • Rz(z軸まわりの回転)は、鏡映すると回転方向が逆になる → 符号反転
  • このモードはIRやRamanには現れない(選択則で禁制)

B₁(x軸方向の関数)

  • C₂とσv'で符号反転(指標列:E=1, C₂=–1, σv=1, σv'=–1)
  • 対応:x, px軌道、x方向の振動モード

水分子での意味:

  • x軸方向の関数は、C₂回転で符号が反転(x → –x)
  • σv鏡映では変化なし(xz平面なのでxはそのまま)
  • σv'鏡映では反転(yz平面なのでx → –x)
  • 非対称伸縮振動:片方のHが内向き、もう片方が外向き → x方向に偏る

B₂(y軸方向の関数)

  • C₂とσvで符号反転(指標列:E=1, C₂=–1, σv=–1, σv'=1)
  • 対応:y, py軌道、y方向の振動モード

水分子での意味:

  • y軸方向の関数は、C₂回転で符号反転(y → –y)
  • σv鏡映(xz平面)で反転(y → –y)
  • σv'鏡映(yz平面)では変化なし(y軸は鏡映面に垂直)
  • 曲げ振動:H原子が分子平面から上下に動く → y方向に変位

4: 応用例:軌道や振動モードの分類

この分類を使えば:

  • 分子軌道がどの表現に属するかを判定できる
  • 光学遷移の選択則(allowed/forbidden)を判断できる
  • IRやRamanスペクトルの活性モードを予測できる
すなわち、まず水分子の各軌道が、Cv点群の対称操作(E, C₂, σvσv')に対してどう変化するかを調べ、キャラクターテーブルと照合して分類します。

水分子の主な軌道と分類例:

軌道 方向性 操作での変化 属する表現
s軌道(酸素) 球対称 すべて不変 A
pz軌道(酸素) z軸方向 すべて不変 A
px軌道(酸素) x軸方向 C₂とσv'で反転 B
py軌道(酸素) y軸方向 C₂とσvで反転 B

この分類により、軌道間の結合可能性や遷移の選択則が判定できます。

次に、光学遷移の選択則(allowed/forbidden)の判定を行います。遷移モーメント積 ( \( \Gamma_{\text{初期}} \times \Gamma_{\text{モーメント}} \times \Gamma_{\text{最終}} \) ) にA₁(完全対称表現)が含まれると、遷移は許容(allowed)されます。

水分子での例:

  • 遷移モーメントは電場方向に依存:
    • x方向 → B
    • y方向 → B
    • z方向 → A

例1:A₁ → B₁ 遷移(x方向)

\[ A₁ \times B₁ \times B₁ = A₁ → \text{allowed} \]

例2:A₁ → A₂ 遷移(z方向)

\[ A₁ \times A₁ \times A₂ = A₂ → \text{forbidden} \]

このように、軌道の表現と遷移モーメントの方向から、光学遷移の可否を判定できます。

さらに、IR・Ramanスペクトルの活性モードを予測します。以下に原理を概説します。

原理:

  • IR活性:振動モードが電気双極子モーメントを変化させる → 遷移モーメントと同じく、A₁が含まれるかで判定
  • Raman活性:振動モードが分極率テンソルを変化させる → 二次関数(x², y², xyなど)と表現の積で判定

したがって、振動モードの対称性を求める。

水分子は3原子 → 3N – 6 = 3振動モード(N = 3)

  • ν₁:対称伸縮(A₁)
        - 両方のH原子が同時に内向き・外向きに動く
        - 酸素原子は静止またはわずかに動く
        - 分子の対称性を保つ → 完全対称表現A
  • ν₂:曲げ(B₂)
        - H原子が分子平面内で上下に動く(O–H–O角が変化)
        - y軸方向の変位 → B₂表現に対応
  • ν₃:非対称伸縮(B₁)
        - 一方のHが内向き、もう一方が外向きに動く
        - x軸方向の変位 → B₁表現に対応

水分子の振動モードと活性:

モード 動き 分極率テンソルの成分 表現 IR活性 Raman活性
ν₁(対称伸縮) z軸方向 x², y², z² A
ν₂(曲げ) y軸方向 B yz
ν₃(非対称伸縮) x軸方向 B xz

このように、振動モードの方向と表現から、スペクトルに現れるかどうかを予測できます。


5: まとめ:座標軸と既約表現の関係

軸方向 関数・軌道 属する表現 対称性の特徴
z軸 z, z², s軌道 A 完全対称
x軸 x, px B σv'で反転
y軸 y, py B σvで反転
回転Rz ねじれ振動 A 鏡映で反転


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