2024年8月4日日曜日

精密有機合成化学再考~その1~

精密有機合成化学における重要概念をおさらいします。

1. フロンティア分子軌道論(FMO)の導入
FMOとは何で、なぜ重要なのか?
FMO理論によると、反応する分子の最高被占軌道(HOMO)と最低空軌道(LUMO)の相互作用が、反応の遷移状態を安定化させる上で非常に重要です。

福井謙一の仮説:「化学反応の過程において、反応種のHOMOとLUMOの相互作用が、遷移構造の安定化に非常に重要である。」

FMO理論は、有機化学者が反応のメカニズムや選択性を予測する際に役立ちます。例えば、求核剤のHOMOと求電子剤のLUMOの相互作用を考えることで、反応の起こりやすさや生成物の構造を予測できます。

2. 超共役
超共役とは何で、どのように分子を安定化させるのか?
超共役は、隣接する結合軌道とp軌道の相互作用のことです。これは分子、特にカルボカチオンを安定化させる重要なメカニズムです。

超共役の立体電子的要件:「相互作用する軌道間のsyn-planar配向が必要である。」

例えば、カルボカチオンの場合、C-R結合の電子が電子不足の炭素中心を安定化させます。これは分子軌道の観点から、σC-R軌道とカチオン中心のp軌道の線形結合として説明されることもあります。

3. 軌道の重なりと結合強度の関係
結合の強さ(結合解離エネルギー)は何によって決まるのか?
結合の強さは、共有結合の寄与とイオン性の寄与の和で決まります。

結合の強さ:「結合解離エネルギー(BDE)= ΔEcovalent + ΔEionic

例えば、C-C結合とC-Si結合を比較すると、H3C-C3HのBDE > H3C-Si3HのBDEであり、C-C結合の方がC-Si結合よりも強いことから、一般に以下のように説明されることがあります。

軌道の重なりと結合の強さ:「同程度のエネルギーを持つ軌道間の重なりは、エネルギーの異なる軌道間の重なりよりも効果的である。」

4. 混成軌道と電気陰性度の関係
混成軌道と電気陰性度にはどのような関係があるか?
混成軌道におけるs軌道の割合(%S性)と電気陰性度には直接的な関係があります。

例えば:
- sp3混成炭素(25% S性)
- sp2混成炭素(33% S性)
- sp混成炭素(50% S性)

S性が増加するにつれて、電気陰性度も増加します。これは、s軌道が核に近いため、最外殻電子から見る有効核電荷がより高くなるためです。

「S状態の電子から見る核電荷はP状態の電子より大きくなる」

5. 化学反応を支配する普遍的効果(立体効果、電子効果、立体電子効果)
立体電子効果とは何か?どのように化学反応に影響するか?

立体電子効果は、軌道の重なりによって基底状態や遷移状態に課される幾何学的制約のことです。これは反応の立体選択性に大きな影響を与えます。

反応の立体化学的結果に対する電子効果の影響:「E2脱離反応では、脱離基と引き抜かれる水素がアンチペリプラナー配座をとる方が、同じ側の配置よりも有利である」

これは、アンチペリプラナー配座の方が軌道の重なりが良いためです。

~再考~
精密有機合成化学における重要概念はまだまだありますが、初回は5つを紹介しました。5つの概念のうちの1つ、軌道の重なりと結合強度の関係について、再考します。
まず初めに、量子化学計算ソフトのORCAを使って、種々の原子・分子について計算を行い、以下の表を作成しました。
構造最適化: RI-MP2 cc-pVTZ cc-pVTZ/C TIGHTSCF
一点計算: DLPNO-CCSD(T) cc-pVTZ cc-pVTZ/C TightPNO TightSCF

BDEkJ/molElectronegativity
E(0)E(TOT)CCSDCCSD(T)H2.20diffC-E
H3CLi-80.46-189.11-189.11-197.65Li0.981.57
H3CBeH-297.05-405.80-405.80-413.41Be1.570.98
H3CBH2-353.31-444.77-444.77-453.29B2.040.51
H3CCH3-299.01-390.19-390.19-400.05C2.550.00
H3CNH2-260.05-361.78-361.78-372.71N3.04-0.49
H3COH-267.05-386.48-386.48-398.68O3.44-0.89
H3CF-316.61-451.68-451.68-463.57F3.98-1.43
E(0)E(TOT)CCSDCCSD(T)
H3CNa-12.11-123.81-123.81-133.89Na0.931.62
H3CMgH-170.18-274.70-274.70-282.96Mg1.311.24
H3CAlH2-257.02-341.84-341.84-349.43Al1.610.94
H3CSiH3-290.89-369.69-369.69-377.35Si1.900.65
H3CPH2-222.03-298.12-298.12-307.59P2.190.36
H3CSH-220.78-305.94-305.94-317.11S2.58-0.03
H3CCl-249.35-337.37-337.37-349.04Cl3.16-0.61
E(0)E(TOT)CCSDCCSD(T)
H3CGaH2-233.45-331.24-331.24-339.82Ga1.810.74
H3CGeH3-252.00-341.00-341.00-349.29Ge2.010.54
H3CAsH2-187.38-273.75-273.75-283.61As2.180.37
H3CSeH-187.09-344.58-278.28-289.28Se2.550.00
H3CBr-207.48-299.82-299.82-311.12Br2.96-0.41
BDEkJ/molElectronegativity
E(0)E(TOT)CCSDCCSD(T)H2.20deffSi-E
H3SiLi-114.80-205.37-205.37-210.62Li0.980.92
H3SiBeH-241.77-331.79-331.79-336.49Be1.570.33
H3SiBH2-278.49-358.03-358.03-363.90B2.04-0.14
H3SiCH3-290.89-369.69-369.69-377.35C2.55-0.65
H3SiNH2-338.23-423.14-423.14-430.92N3.04-1.14
H3SiOH-401.85-504.52-504.52-513.32O3.44-1.54
H3SiF-487.59-607.72-607.72-615.99F3.98-2.08

たしかにC-C結合とC-Si結合を比較すると、H3C-C3HのBDE: -400 kJ/molに対し、H3C-Si3HのBDE: -377 kJ/molとなっており、C-C結合の方がC-Si結合よりも強いです。
ただ、軌道の重なりと結合の強さに関する言説は、「ただし、炭素との結合に限る」と言っておいたほうが良いかもしれません。
また、BDEの大小の比較について、同族で比較すると、確かに高周期元素のほうがBDEが弱くなります。ただ、第3周期と第4周期元素間の差は、第2周期と第3周期の対応する各元素間の差に比べると、縮小しています。同周期で比較してみると、第2周期と第3周期のそれぞれで、C-Li結合とC-Na結合が最小なのはさもありなんといったところでしょうか。一方の最大はというと、第2周期ではC-F結合、第3周期ではC-Si結合、第4周期ではC-Ge結合となっています。

それにしても溶媒効果とか入れてないとはいえ、H3C-Naの結合めちゃくちゃ弱いですね。あと、H3C-LiのBDE: -198 kJ/molに対し、H3Si-LiのBDE: -211 kJ/molとなっており、Si-Li結合の方がC-Li結合よりも強くなっているのは、Liの原子半径が大きいことが影響しているっていう解釈でいけば、軌道の重なりと結合の強さに関する言説とは矛盾しないという解釈で良いのかなと。
一方、Si-N、Si-O、Si-F結合も、C-N、C-O、C-F結合よりも強くなっていますが、こちらは単純に電気陰性度の差が大きい方がイオン結合性が増すので、BDEとしては大きくなったと解釈しました。

以上

再考パートは車輪の再発明っぽい雰囲気が出ていますが、色々とちゃんと考えてみると、自分の中でちゃんと分かってないことが多いという再認識を得たので、このあたりの内容はまた別途深堀りします。

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